無 人 在 来 線 爆 弾 。
上映開始から1ヶ月経って、ようやくシン・ゴジラ見てきました。
見る前は監督誰でもいいから、素直に日本ゴジラ復活めでたいと思ってましたが、見終わってからは監督・庵野は正解と思いました。
ネタバレ用に隠して感想。
▼クリックで展開
宣伝ポスターのキャッチコピーが「現実対虚構」、「ニッポン対ゴジラ」とあるように、本作では空想兵器の無い現実の日本に大型生物が現れた、という描かれ方をしています。
海からのゴジラ出現から様々な被害を出しつつも、判断を行う各省トップ達の会議は遅々として進まず、結局ゴジラへの対応が殆どできずにゴジラはまた海に消えていくというのが序盤。
私は政治のことは全然分かってませんが、実に「日本らしい」と感じさせるもどかしさでした。
ゴジラ上陸中になんとか攻撃ヘリを出撃させるも、避難民を見てゴジラへの攻撃を中止する辺りも同時に日本らしいと思いました。
極めて重大な事態にありながらも、日本国内においての攻撃行為は意味が重く、国民に被害を出してはならない大前提が現実だからこそあるんだぞ、と。普通の怪獣映画だったらこの展開は撃ってますよね。
中盤からは対策室が出来て登場人物の役割が明確になる上、いちいちキャラが立ってて面白い。
邦画にありきたりな過剰すぎる感情表現が無く、人間同士のやり取りまで徹底的にテンポよく展開するので、ストレスなく人間描写を受け止められました。
とは言え、カヨコ・アン・パタースンの(当然意図されたであろう)わざとらしさだけは見終わっても違和感ありましたが……
そしてゴジラが再上陸し、今度こそ自衛隊による大規模作戦……からの圧倒的敗北、米国が参加して初めてゴジラへの有効打からの放射熱線による反撃、東京は火の海に。
本来なら、ゴジラが放射熱線吐けば視聴者は喜ぶところなんですが、自衛隊の攻撃が効かない→米軍の攻撃で初めて希望を見出したところでゴジラの圧倒的な破壊行為は、喜ぶどころではなくただただ絶望。
頭で分かってたはずだった、ゴジラは人間の味方なんかではなく、独立した恐ろしいものだったということを、東京が火の海になってから(私のようなVSシリーズ慣れした視聴者に対して特に強く)突きつけられました。
ギャレゴジも人間に興味を示さない超常的存在として描かれながらも、明確に敵がいた為ヒロイックに映ったのに対し、シン・ゴジラはより恐ろしく、人では抗することのできない絶対的な存在として映りました。
そもそもゴジラは攻撃してきた人間の兵器(それも攻撃が効いた時だけ)に対して放射熱線で応えたわけで、人間を殺す目的では吐いてないんですよね……
どこを見ているか分からないゴジラの眼もそうですが、積極的にビルを倒すわけでもなく、ただ動いた過程で住居が壊れて人が死んだだけ、痛い攻撃があったからお返ししただけ、という人間に対する無関心的な振る舞いが意思疎通が不可能な存在として、ゴジラがより異質に見えました。
終盤では日本の生存を掛けての作戦が始まり、対ゴジラの現場チームだけでなく、まだ生きている政治でも人間同士の戦いが描かれます。
序盤ではもどかしい政治が被害を増加させたように映しつつ、終盤ではその政治が国を救う一助になったのが対称的でした。
終盤の一大作戦はさすがに現実離れしてる感がありますが、これまでのゴジラへの抑圧を開放するようにテンポよく展開していく為、見ている間は細かい疑問が吹っ飛びました。
そしてラストカットで大きな謎を映しつつ、エンドロール。
楽曲はどれも印象的。ゴジラ上陸などの象徴的シーンやエンドロールで伊福部氏の楽曲を使ってくれたのはすごく嬉しい。
普通だったら現代の作曲家の楽曲になるでしょうしね。原点へのリスペクトを感じました。
人間側シーンで使われたエヴァの楽曲(厳密にはシン・ゴジラ用の新規楽曲)は意表を突いて最初笑いを誘うものの、細かくアレンジしたものが流れていく内に、終盤ではもう立派にシン・ゴジラの楽曲として固定されました。
本作の新規楽曲で最も印象深いのはやはり放射熱線のシーンで使われるWho will know。調べれば和訳がありますが、これまた庵野作品らしい意味深さ。
本作ではメーサー砲などの空想兵器は出ませんが、既存の兵器は出てきます。
その中でも旧ゴジラの楽曲を使い、画でも強烈な印象を残したのが、冒頭にも書いたもの。
兵器ではない無人電車に爆薬積んでゴジラに突撃させるって、確かに実現可能ながらも非常にシュールで、笑いながらもテンション上がりました。
本作は単純なエンターテイメントとして見るには頭からっぽで受け止めるには合わない作品かもしれない。
長い会議シーン、解説のない専門用語の羅列、全編に渡って手を加え過ぎたとも感じられる演出などは好き嫌いは分かれそう。
特に、本作のゴジラは震災や原発を想起させる部分が多く、それらはそのまま現実的な問題に置き換えられます。
作中のゴジラも日本崩壊の手前でなんとか抑止しただけで、映画=現実の問題はまだ解決してないぞと言っているようです。
ただしツボにハマれば細かいデメリットは無視できるくらい面白いのも事実と思いました。
また、見終わってから大事なことを思い出させてくれたました。ゴジラは人間の恐れそのものだということ。
ギャレゴジがVSシリーズ的なゴジラだったのに対し、シン・ゴジラは原点のゴジラのように災害的な存在であり、善悪を超越した生物であり、人間にとっては抗いようのない存在でした。
本作のゴジラは日本をさんざん破壊したことすら目的に見えない異質さがあります。事実として東京を歩き回っただけという。積極的に建造物を壊しに行ってるわけでもないのでひたすら不気味。
庵野監督ということで、あるいはエヴァで我々が鍛えられたせいかどうか、見る者の想像を掻き立てる謎の残し方などは、本当にらしかった。
ゴジラ誕生に関わっていると思われる牧教授の行方、進化し続けるゴジラの生態とそれを示唆するようなラストの描写等々。
やっぱりというかネットでは考察が盛り上がっており、復活したゴジラは記憶に残る映画になったんでしょう。
長文になってしまった。それだけ個人的にツボを突いたとも言えます。
見終わってから、早くBDの発売日がアナウンスされないかと、やきもきしてます。